わがトミッシュジャパンに協力をしてくださる松井守男先生。
私がかなり昔、一枚の絵を見た瞬間動けなくなった思い出がありました。
あまりに強い衝撃!そして光り輝くその美しさ。
それが松井守男先生の「遺言」という大きな絵画だったのです。
遺言

1942年に愛知県豊橋で生まれた松井先生は、武蔵野美術大学を卒業後、フランス政府留学生として渡仏し、アカデミー・ジュリアンや、フランス国立美術学校で学ばれました。そして巨匠ピカソとの出会い……。
ピカソはこう言ったそうです。「君は僕のようになれる。でもマツイはマツイを目指せ」と。
その後、松井先生はパリを拠点に絵を描き続けました。「ピカソではなくマツイの絵」……。松井先生は苦しみました。ヨーロッパ中の美術館を歩き、自分の絵を見つけようとしました。そこで目にした一枚の絵に先生は心を打たれます。それは巨匠でもプロでもなく、夫の帰りを待つ漁師の妻が描いたものだったのです。
松井先生は「絵は技術ではない!愛だ!」と、横幅5メートル、縦2メートルの大きなカンバスに一心不乱に絵を描き始めました。
何かに憑りつかれたように描き続ける松井先生。1985年のことでした。
「これが完成したら死んでもいい」と一心不乱に筆を走らせます。はじめはとても暗い絵でした。描き始めて2年半、愛に必要なものは「人」であると、人という字を無数に描き始めると、その絵は一気に光り輝き始めたのです。「何かが降りてきた」と先生は言います。とうとう絵が完成しました。描き終えたら死んでもいいと思って全身全霊をかけたこの絵に先生は「遺言」というタイトルを付けました。松井守男先生がフランスで活動を始めておよそ20年が経過していました。
そして松井先生はそれ以降、フランスを代表する画家と称されるようになり、2000年、フランス政府から芸術文化勲章を受章。さらにはフランス最高勲章であるレジオン・ドヌール勲章を受章されました。

「遺言」という作品を初めて見たとき、私は身動きができなくなりました。それだけはずっと覚えていました。
あれから何年も経ち、今年、まったくの偶然から松井守男先生と知り合うことができ、体中が震えました。
そして何時間も先生と話をしているうち、不思議なことにずっと昔から結びついていたような気持になりました。
先生のお人柄からとも言えますが、やはり私の心の中に光り輝いていた「遺言」がそうさせたのかもしれません。
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松井守男先生は現在フランス、コルシカ島にアトリエを持ち活動されています。そして故郷日本に恩返しをしたいと、日本に帰っては子供たちに絵の素晴らしさを教え続けています。

もう9月に入りました。ちょうど今、7月から2か月に渡り、カトリックの聖地、フランス南西部のルルドで行われた「ルルド展」が終了した時間です。
松井先生本当にお疲れ様でした。

扇一平

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